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今日の愛媛新聞「四季録」に、私のことを書いてくださったのは

取材で知り合ったS先生。

身に余るほど光栄な文章を寄せて下さり、なんだか申し訳ないくらいだ。

S先生は社会保障の専門家。

私と年齢が変わらないこと、同じ女性だと言うことから、

なぜSさんが社会保障を専門としていったかということに興味があり、

根掘り葉掘り聞いてしまったことがある。

大学での専門は自分の大好きな「音楽」の道へ進んだ私。

社会保障を選んだSさんとの違いは何かという視点を軸に話を聞いていた気がする。

Sさんが今取り組んでいる事、研究していること、現在の状況などを聞くにつれ、

なぜそれが報道されることが少ないのか、報道されにくいのかも考えた。

四季録に書いて下さったのはそんなやりとりをした時の事についてだろうと思う。

そのやりとりが、Sさんの「伝える」という行動へのきっかけの一つになったのなら、

これこそこんなに嬉しいことはない。

中学生くらいのときだったか、

「なぜ生まれてきたんだろう?」「どうして生きているんだろう?」

といつも考えている時期があった。

特に死にたかったわけでもない、生きる気力を失っていたわけでもない。

ただ、疑問だった。

その頃、部活の先輩が亡くなった。

心臓に持病があり、授業中に発作が出てしまったのが原因だった。

翌週予定されていたかえるの解剖実験は中止になった。

田舎の学校だったこともあり、学校中がショックを受けていた。

そんなことも関係していたかもしれない。

どれくらいの期間考え続けていたか覚えていないが、そのときに思ったこと。

生まれてきたからには私も何かの役に立つんだろう。

小さなことかもしれないけれど、必要があって生まれてきたんだろう、と。

私が生きていることで、誰かが何かを感じてくれるかもしれない。

大きな事が出来なくても、小さな事でなにかに役に立つのかもしれない。

そう思った。

四季録を読ませてもらって、「生きてて良かったなぁ」と思うのは大げさだろうか・・・。