いちえの「空飛ぶ声のBlog」

日々のあれこれ。

大震災の発生「想定できた」? 地震予知は「不可能」?

以下の二つのニュースのタイトルを比べてみてください。

大震災の発生「想定できた」 東大教授、科学誌に

(2011/4/14 11:57 日本経済新聞)

地震予知は「不可能」、国民は想定外の準備を=東大教授

(ロイター - 04月14日 11:07)

この2つの記事は、全く同じ情報を元に書かれたものです。

なのに、この2つのタイトルは全く正反対の事を書いているように思えませんか?

元の情報というのは、ネイチャーの電子版に寄せられた東京大学のロバート・ゲラー教授の見解。↓

http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature10105.html

本人翻訳の日本語はこちら↓

http://www.natureasia.com/japan/nature/special/nature_comment_041411.php

日経の記事、ロイターの記事、元の情報、の3つを読み比べると、

ほほぅ、と関心すらしてしまいます。

日経も、ロイターも嘘は言っていない。

でも、言葉の選び方、タイトルのつけ方で、

読み手の解釈は大きく変わります。

この2つのタイトルだけを「さっ」と見ると、

日経は「地震予知可能」といいロイターは「予知不可能」といっているようにすら誤解しそうになります。

でも実際は、2誌ともにそんなことは言ってません。

日経の記事→ http://p.tl/gNdv

ロイターの記事→ http://p.tl/txrv

すごーく粗く言うと・・・。

日経の記事は、予知できるかどうかには、ほぼ、言及してません。

主に、今回の震災を「想定外」としてしまう事への問題提起をしている。

ロイターの記事は、そこからさらに踏み込んで、

予知できない理由の説明と、だからこそ想定外の事態に備えるべきと説明している。

(注:詳しくはそれぞれの記事を見てください。そして、ネイチャーの元情報も見てください。)

あれ?結局2誌ともそんなに方向性は変わらない記事ですね。

そこでタイトルをもう一度、見てみましょうか。

 大震災の発生「想定できた」 東大教授、科学誌に

 地震予知は「不可能」、国民は想定外の準備を=東大教授

どうでしょう?

最初にタイトルだけ読んだ時と、受け止め方が変わりませんか?

情報を受け取る側のリテラシーももちろん重要です。

そして、情報を発信するメディア側も、歪んだ受け止められ方をしないように、

タイトルや見出しには最善の注意を払う必要があると思います。

ましてや、今は、通常時の何倍も感情的に受け止められやすい時だと思います。

もちろん、そういう誤解や早とちり、感情的な受け止め方をあおるかのような

タイトルや見出しをわざとつけるメディアもあるので、注意が必要です![E:punch]

twitterなどを見ていると、時折、見出しだけで感情的になっている人もいます。

しかし、その人がリンクしている先の記事を読むと、全く逆の事が書かれていたりします。

自分が不安に思っていることや、やっぱりそうだったか、と思ってしまうような記事や情報を見かけたら、盲信しがちです。そして誤解もしがちです。

デマや流言を広げる一端を担わないようにしたいなぁ、と思う事が多い日々です。