いちえの「空飛ぶ声のBlog」

日々のあれこれ。

苦労性

せっかくうまく行きかけているのに、わざわざ心配なことを考えて

不安になったり、苦労する道のりを選んでしまったり・・・

そのままうまく流れていく船に乗れば良いだけなのに、

なんとなくスムーズに進む船に私は乗っちゃいけない気がしていた。

わざわざ船を下りてボートをこがなきゃいけない気がしたり・・・

今まで気づかずにそういう考え方をしていた。

ようやく気づいたのがここ半年。

はっとしたのは春にSさんと話したときかな。

天ぷら屋さんでの一こま。

私たちは、単品で注文せずにセットを頼んだので、

どういう順番で何の天ぷらが出てくるのか正確には把握していなかった。

カウンター席なので、目の前でおいしそうな天ぷらが揚がっていく。

おしゃべりしながら見ていると、

小さなお皿が2つ用意され、エビのかき揚げが揚がってきた。

そのときの私の頭の中では

(おいしそう、だけど、自分のだと思わないようにしよう。期待がはずれたらがっかりだし。)

と考えていた(もちろん口には出さずに)。

すると、ほぼ同じときにSさんは

「わぁ、あれ私たちのかなぁ!」と無邪気に期待している。

結局、私たちの目の前に運ばれ、おいしくいただいた。

それぐらい素直に期待すればいいのにね。

せっかく幸せ気分に浸れるときなのに、

どうしてわざわざ悪い方を考えようとしてしまうんだろう。

ささいな出来事だけど、はっとした。

なんにしても、心配しなくてもいいようなことまで心配したり、思い悩んだりしてるんだなぁ私って。

なににつけても、苦労しなきゃいけない、幸せな思いをしちゃいけないって・・・

いつからだろう。

少なくとも子供の頃はそうじゃなかった。

学生の頃も、そうじゃなかったな。

インフルエンザで高熱を出して受験した大学も、

受かるだろうと、どこかで楽観視している自分がいた。

競争率の高かった院もしかり。

教員採用試験はだめだったけど、臨時採用されるだろうと思っていたし、

NHKのオーディションもどっかで受かると思っていたなぁ。

とうことは、ここ数年のことか。

うーん、いろんな社会と人を見て、信用できなくなっていったのかな。

他人も、自分も・・・。

確かに「まさか」という裏切りも経験したし、

自分が嫌になるできごともあったなぁ。

いつのまにやら、自分で幸せな道を遠ざけていたのかも。

もっと自分を信用しよう。

そうしないと自分に失礼だ。