いちえの「空飛ぶ声のBlog」

日々のあれこれ。

「集中」しているときと、「没頭」しているときと…。

なにかに集中すると、まわりの音は何も聞こえなくなる。

(いや、実際に耳には聞こえているんだけど、

 脳には届かないというか…。)

例えば、夢中になって本を読んでいるとき、

テレビの内容に見入ったとき、

なにかを集中して考えているとき、

私の真ん前で、私の悪口を言われていても気付かない。

時には私自身も集中していることに気付いてないこともあって、

突然話しかけられて驚いたり、

私も近くにいたはずの場所で話題になっていたことを知らなかったりする。

集中力は強い方なのかもしれない。

ただ、この集中力は、コントロールが必要なのだと、つくづく感じている。

「知らない間に」集中しすぎていてはいけないのだ。

知らない間に集中するのは、「集中」ではなく「没頭」だと思う。

自分が今集中していると言うことをどこかでほんの少し意識できている状態、

それがベストだと思っている。

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例えば、原稿を読んでいる本番中、

うまく集中していると、

その文字列が意味していること、

その背景、

その文章を書いた人が伝えたかった本質的なことなどが、

気持ちいいくらい明確に自分の中にストンと入ってきて、

おのずと、そのときのベストな音声になって表現される。(と思う)

これは誰しもそうだとおもうけれど、

本番の集中力はものすごい。

黙読や下読み(本番前に声に出して原稿を読むこと)では気付かなかった

誤字脱字、おかしな表現、言い変えた方が良い表現などが、

まるでそこにスポットライトが当たるかのように浮かび上がる。

そして、うまく集中しているときは、

その集中力と共に、判断力が冴え渡っているので、

まるで自分の中に、自動変換システムがあるかのように、

誤字や脱字、言い換えた表現などが、スルスルと音声になって口から出ていく。

自分で不思議に思うくらい。

これは、音楽学生として演奏している頃もそうだった。

音や曲にすーっと集中できたとき、

その集中力と判断力のバランスが良いときは、

テクニックやら曲の解釈やら考えようとしなくても、

ああ、そういうことか、と、下手ながらも、そのときにベストな演奏ができていたように思う。

ただ、怖いのは、「集中」ではなく「没頭」になってしまうことが、稀にあるということだ。

そのときは、危険なのだ。

そして・・・

それをやってしまった。

原稿に集中しすぎてしまい、ハッ!と我に返ったとき、

没頭のあまり、大きなミスをしてしまったことに気付いた。

すぐに判断力がフル稼働し、

なんとかその場をしのいだのだけど、

(聞いている方にはあまりわからないような形で)

ミスはミスだ。

あとから、どうしてあのミスにつながったのか、自分で分析する。

防ぐ手立てはなかったのか。

ケアレスミスではあるが、陥りがちなミスなので、

二重の防御策はとっていた。

それでも、その防御策をもくぐり抜けてしまったのは、

ひとえに、私が没頭しすぎたせいだろうと思う。

没頭していると気持ちが良いのだ。

今思うに、私はあのとき、没頭のあまり気持ちよく読んでいたのだと思う。

そのミスを引きずってしまったのか、その直後の本番も小さなミスをした。

そして、夜になって、一人反省会をしている。

集中することは大切、でも、それが独りよがりな没頭にならないこと。

どんなに集中していても、意識はしっかり研ぎ澄まされた状態で、

どんな緊急事態にも対応できるように、気をしっかり持っていること。

そのために、体調も精神状態も安定させておきたい。

なにより、心配事やストレスを感じた直後は特にあぶないように思う。

集中のつもりが没頭になってしまわないように、

自分にもやさしくしようと思う。

あったかいココアでも飲もうかな。

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