ムナクソワルイ

「ムナクソワルイ」

きれいな言葉じゃない。

漢字にすると「胸糞悪い」なんだろうな。多分。

小学校6年の夏から高校卒業までの6年ちょっとを過ごした土地で覚えた言葉。

「ソ」を一番高く読むとそれらしいアクセントになる。

「ムカツク」がある程度一時的な感情だとすれば、

「ムナクソワルイ」というのは、もう少し持続性がある気がする。

私は昨日「ムナクソワルイ」思いをした。

半分くらいは体の外に流れたようだが、

どうやらまだ少し汚い物が排泄されずに残っているようで気持ちが悪い。

昨日、図書館へ行った。

図書館の入り口を入るとすぐ返却カウンターがある。

借りていた本をそこで返した後、せっかくだから何か借りて帰る事にした。

カウンターのすぐ近くに館内の本を検索するためのパソコンが2台置かれている。

1台は座って作業するタイプで、入力はキーボードを叩かなければならない。

もう1台は立って作業をするタイプで、パソコンを使えない人でも簡単に使えるようにタッチパネルになっている。

座って作業をするタイプの方は、女性が一生懸命何かを調べている。

立って作業をするタイプのパソコンの前には誰もいないので、それを使って検索する事にした。

本の名前やキーワードを入れると、その本の整理番号が表示される。

2,3冊ピックアップし、その番号をメモしていると、突然耳元で男の人の声がした。

「時間かかりますか?」

その口調は明らかに怒っている。

後ろに並んでいる人を怒らせるほど占領していた覚えはない。

時間にするとせいぜい1,2分くらいだ。

「いえ、すぐ終わります」

とふと顔を上げると、座って作業するパソコンが空いている。

「あ、私こっちでもいいので」

と隣に移動しようとすると、

「これ、みえませんでしたか?」と怒った口調で足下を指さす。

見ると、床に小さな汚いリュックがある。

タッチパネルの機械の脇に沿わせるように置かれていた。

私は全く目に入っていなかったので、

「あ、すみません。使っていたんですか。見えなかった物で」

とすぐに作業をやめ、横に移動した。

すると

「見えない訳ないでしょ、こうやって荷物を置いているのに」とますます怒り口調だ。

そんな事いわれても見えなかった物は仕方がない。

「そういわれても」と隣のパソコンを利用しようとしたが、あまりの剣幕なので恐ろしくなりその場を離れようとした。

それでも、その人は追い掛けんばかりの勢いで

「あんたおかしいよ!こうやって荷物を置いてるって言う事は使っている途中だって言う事だろ!」と文句を言ってくる。

私も、そこまでしつこくいちゃもんつけられて謝ってばかりいられるほど「お人好し」じゃない。

「そんなに言うなら、もっとわかりやすく置いておけばいいじゃないですか。床じゃなくて椅子の上に荷物を置いておくとか!」と言い返した。

タッチパネルは基本的には立って作業をするタイプだが、一応、器械の前には丸いすが置かれている。

その男の人は、タッチパネルの四角い機械の左斜め横に沿わせるようにして床に荷物を置いていた。

しかも、小さくて汚い。(余計な事だが)

まぁ、荷物を置いていた場所がわかりにくかった云々というより、

タッチパネルの検索機械を荷物を置いて確保する方がおかしいのではないだろうか。

座席と違って、館内には数台しかないのだ。

ただ、回転が速いので数分待つとすぐ使える。

座って作業をするキーボード入力タイプのパソコンを何分も使っている人は見た事があるが、

立って作業をするのが基本のタッチパネルタイプを荷物を置いてまで占領している人は見た事がないぞ。

まぁ、もちろん、そんな事までは言わなかったが。

自分が占領していたつもりのタッチパネルを私に横取りされてさぞかしお怒りだったようで、

その場から去ろうとしている私に向かって大声で

「あんた絶対おかしいよ!」と何度も叫んできた。

ここは静かな図書館内である。言い返すとかなり迷惑になる。

と冷静な考えもありながらも、私の堪忍袋もプチっと切れた。

「おかしいのはそっちでしょ。」と、一言大声で言い返した。

図書館にいた人、職員の人、ごめんなさい。

それにしても、ムナクソワルイ。

目的の本を見つけると、さっさと貸し出しカウンターで手続きを済ませ、図書館を出た。

もう二度と行くか、と思った。

本に罪はないが、せっかく借りた本すら読む気がなくなった。

くそぉ、読みたい本は全て買えるくらいの財力を得てやる!みてろよ〜!

・・・と、かなり情けない闘志を燃やした。

これが怒りだけなら、もうとっくに治まっているのかもしれないが、

どうやら、そのムナクソワルイ奴のマイナスのエネルギーを受けてしまったらしい。

「あんたおかしいよ」と連呼され、私の中のどこかが「本当は私がおかしいのか?」と思っている。

知らない人が多くいるところに行くのが苦手になりそうだ。

知らない人のマイナスのエネルギーほど受け取りやすい気がする。

お互いに知っている人のマイナスのエネルギーには、うまく対応できる気がする。

知らない人だからこそ、どうやって対応して良いのかわからない。

仕事上、「これまで知らなかった人」に会う事は多い。

でも、それは「知らなかった」人であり、これからは「知っている人」になるわけである。

これまでもこれからも「知らない人」とは違う。

これから知っていく人に対しては、うまく距離をとっていこうと自分で調節する事が出来る、と思う。

都会にいると、こんな大変さもあるのかと思う。

昨日までも、今日からも「知らない人」に多くすれ違う。

街を歩いていても、電車に乗っていても、図書館の中でも・・・。

人が多いだけに、そんな人たちのエネルギーにいちいち影響されていたんじゃ身が持たない。

だから都会の人はみんな知らんぷりして、なるべく他人に関わらないように歩いているのかな。

人が多いから「思いやり」なんて持っていたらとんでもない事になるのかな。

なんだか知らない人に溺れそうになる。

今日、地下鉄のホームで、ベビーカーを押した女性が歩いていた。

ベビーカーから子供の持っていた物がポトッと落ちた。

お母さんはそれに気づかない。

少し後ろを歩いていた私は、それを拾って追い掛けた。

ちょうど階段の手前で追いついた。

「落としてましたよ。」と渡し、「手伝いましょうか」と声をかけた。

目の前には長い階段がそびえている。エレベーターもエスカレーターもない。

二人で両脇からベビーカーを抱えて階段を上がった。

半分の重さなのに、かなり重い。

「助かりました。ありがとうございます。」と私の目を見て言ってくれた。

すごく救われた気がした。

昨日のムナクソワルさをスーッと浄化してくれるような目だった。

もしも、ベビーカーの子供が私の目の前で物を落とさなかったら、

私はそのお母さんに声をかける事が出来なかったと思う。

物を落としてくれた子供に感謝した。

その子供とお母さんは「知らない人」だし、これからも知らない人だ。

今日はプラスのエネルギーをもらえた気がする。

都会で感じたムナクソワルさは、自分ではなかなか浄化できない。

こんな風にして癒やしてもらうしかないのかもしれないな、と思った。

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